2015年9月25日金曜日

大学入試編:やり続けて得られる大学合格!

今年の英学塾には高3生がたくさんいます。
大学の付属高校の学生たちは、すでに大学が求める基準(英検2級、TOEIC450点など)をクリアして、全員が来春の入学を一学期中に早々と決めています。
二学期になり、いよいよ本格的な受験シーズン到来です。
秋はまずは指定校推薦、AO入試などを狙う高校生たちのシーズンです。そのなかで指定校推薦の合格第一号は、中一からずっと英学塾で勉強してきたMちゃんです。
クラブとの両立で苦労し、勉強になかなか身の入らなかった期間、やってもやっても内申が伸びなかった期間など、この6年近い期間には、いろんな時期がありました。でも、高3になってからのこの半年、顔つきが変わりました。勉強に素直に向き合うようになると同時に、成績も伸び、希望大学の指定校推薦をものにしました。
思い出したのがロダンの言葉です。
「石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を待たねばなりません」
6年という期間、なかなか結果は見えなくても、毎週毎週塾に通い続けたこと、やり続けたこと、それが力になったんだね、と先生みんなで話しています。
辛抱強く待ち続けること、歩みを止めないこと、やり続けること、その先にみんなの嬉しいニュースがあるんだと、実り多き秋になるよう、受験期の塾では、祈るような毎日を過ごしています。

2015年9月21日月曜日

「頭がおかしい」 が 「すばらしい」に、 ドイツ語のtoll

今や「やばい」という言葉は、「まずい(いけない)」という意味だけではなく、「すっごくおいしい」「かっこいい」などという意味でも使われているが、ドイツ語にも同じような例があるという。

ドイツ育ちの友人がいうには、昔、近所の子どもが「toll」と言っていたのを聞いて辞書をみたら「頭がおかしい、ばか」と書いてあったという。当時は確かにその意味で使われていたのに、最近では「すばらしい」という意味で使われることが多いようだ。最近の辞書を引いてみると、一番最初にあるのが「すばらしい」で、「頭がおかしい」は後ろのほうに書いてあるとのこと。

ドイツ語と日本語、まったく違う言語のように見えるが、同じような意味の変化を遂げる単語があるのはおもしろい。

2015年7月19日日曜日

ワープロ漢字の校正

今日、短歌の同人誌(月刊)の校正をしているという方に話を聞いた。70代のこの女性は「旧仮名遣い」「新旧漢字」「ワープロ漢字」のチェックができるということでこの仕事を引き受けている。ワープロ漢字のチェックというのは初耳なので、何をしているのか聞いてみた。
すると、本来使いたい字がワープロ変換されず、誤って変換されていないかをチェックするとのこと。その一例として「飛驒高山」があるという。この「驒」は、「飛騨」と変換されることが多く、観光ポスターや観光雑誌などを見ても、「飛騨」とされていることが多い。
うーん、「飛騨」は名前なので本来の漢字を使うべきとはいえど、こんなに使われているなら「いいんじゃない」と思う私は、ちょっと若いということか。

この方は「ら抜き」も気になってしかたがないという。今45才の息子さんは、中学のときに、親に対してはきちんと「らを抜かずに」話し、友達同士では「ら抜き」言葉を使っていたそうだ。このあたりが「ら抜き」の出始めのようである。

言葉は変わっていく:フラットな言い方

今日、弱視の子のために、小学校の国語の教科書を拡大して書くというボランティアをしている方から質問があった。「『さあ、バズセッションをしましょう』と教科書にあるのですが、どういう意味なんでしょう。」
そこで、大辞林その他を参考に、「少人数のグループに分かれて意見を出し合ってから、最後にグループごとに意見を発表して全員で討論することのようですよ」というと、今度は
「この頃はなんでアクセントを置かない『フラット』な言い方がはやっているのでしょう」という。
特に、「クラブ」、「ライン」などが気になるようだ。70前後だと思われるこの方によると、「自分の生まれは佐原(平坦にアクセントを置かずにいう)だが、佐原以外の土地に行くと「さ」にアクセントを置かれるという。自分から遠いものは、前にアクセントが置かれる傾向があるとのことだ。
その方は、現地では「なごや」と割合に平坦に言うのに、現地を離れると「な」にアクセントが置かれる、場所だけではなく、「昭和」時代にはフラットだった「しょうわ」が、この頃は「しょ」にアクセントが置かれているのをよく耳にする、と例を挙げる。ということは、「クラブ」「ライン」は身近なものゆえに、平坦に言われるということになる(もっともこの2つは、前にアクセントがあるときと、フラットに言うときとは違う意味ですが)。
だんだん年を重ねていくと、慣れ親しんだ言葉が違うふうに発音されるのは、気になるものです。



2015年7月12日日曜日

言葉は変わっていく。「該当」の読みは「がいとう」です。

今日、中学生の期末試験(英語)の答え合わせをした。

4択の選択肢のなかに「該当なし」という項目があった。生徒が「かくとうなし」と読んだので「がいとうなし、でしょ」というと、「え? 『かくとう』です」と言いはる。おまけに、「世代の違い」だとも。すぐに辞書を引く子なのに、そうしないところを見ると学校ではこの読みがまかり通っているらしい。

確かに、セミナーなどに出席したときに講師が「該当」を「かくとう」と読むのを何度か聞いたことがある。今のところは「かくとう」では漢字変換されず、大辞林等の辞書の読みも「がいとう」しかない。この読みは間違いのはずだ。

とはいえ、本来の読みが置き去りにされ、慣用読みが定着しているものはいくつもある。輸入(ゆにゅう)、捏造(ねつぞう)、漏洩(ろうえい)、間髪を入れず(かんぱつをいれず)、消耗(しょうもう)、新しい(あたらしい)、独擅場(どくだんじょう)、情緒(じょうちょ)、蛇足(だそく)、固執(こしつ)等々。

「かくとう」と言いきる自信には拍手を送るが、今のところ、「かくとう」という読みは慣用読みには該当しないようだ。それでも、いつかそういう日が来るかもしれない。
「言葉は多数決で決まる」---井上ひさしの言葉が耳に残る。



tryという言葉

最近講師たちの間でよくtryという言葉が話題になります。
学校でtryの意味は「挑戦する」だと習ったと、中学生が言うからです。最初に一人の先生がそう言い始め、その後、いろんな学校の生徒に聞いてみると、みんな「挑戦する」と訳していることに気がつきました。
tryという言葉を、英英辞書でひくと、 「自分のやりたいと思ったことに対して、その実現に役立つと思う行動を、自ら起こすこと」とあります(If you try to do something, you want to do it, and you take action which you hope will help you to do it. (c) HarperCollins Publishers.)。
確かに挑戦ではあるかもしれません。でもちょっと、挑戦レベルが低いなー。「~しようとする」くらいのときが多いかな。

2015年7月11日土曜日

高校生の英語の教科書はすごい!

いろんな高校の学生が学んでいる英学塾では、多くの英語の教科書を目にする機会がある。そしてその内容の素晴らしさに感嘆する。

先日、「万人のためのデザイン」(2015年刊)--過去半世紀にわたる「ユーザー中心設計」の進化、発展を物語るデザインプロジェクトを120点近く掲載した本ーーを読んでいると、それら素晴らしい製品がクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館に展示されているという記述があった。

「ん?クーパー・ヒューイット?」なんだか聞いたことがあるぞ、と思い出したのが、高2生の使っているMAINSTREAMという教科書だ。

教科書の”Design for the Other 90%"という章に、社会的課題を解決するのにデザインの力が重要だという話が載っていた。そこでは、途上国で川や井戸から水を運ぶ女性や子どもが首や脊髄に損傷をうけることが多いという問題を解決するために、「Q ドラム」という、引っ張って水を運ぶことのできるドラム缶(プラスチック製)が紹介されていた。そしてそのQドラムが展示されている場所が、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館だと書いてあったのだ。すごい偶然!

さらにその数日後、Elementという教科書を高3生と呼んでいると、gritについて紹介された章があり、Angela Duckworthという、ペンシルバニア大学の心理学者による、「成功する人たちには知性に加えてGRITがある」という研究結果が載っていた。

「ん?グリット?ダックワース?」。思い出した。ちょうど去年、社会人の人達と英語の勉強をしている際に、TEDでDuckworthのプレゼンを聴いたのだ。そしてgritについてみんなで話し合った。このTEDでのプレゼンは2013年4月のもの、それがもう教科書で紹介されている!すごいなーと感心した。(ちなみにgritは目的を定めてやり続ける力のこと。塾生に聞くと、学校の先生はこれを「気骨」と訳されたそうで、うーーん、最近「気骨」って言葉はもうあんまり聞かないねーと話したのでした。)

社会情勢、経済、政治、福祉、環境問題、物語、文化、文学、音楽、絵画、化学、自然、テクノロジー・・・。高校の英語の教科書の内容の多様性には目を見張るものがある。高校生は英語を勉強するのが精いっぱいで、なかなか内容の深い部分までは理解することができないけれど、少しでも余裕があれば、それを糸口に興味を広げていってほしい。(こんな素晴らしい教科書、誰が作っているのでしょう?)